本州最南端、黒潮の恵みを受ける… |
本州最南端の地
潮岬は北緯33度26分、東経135度46分。これは、東京の八丈島とほぼ同緯度に位置します。
茫々たる太平洋に面し、東西に長く延びた海岸線はこの地方の特色であるリアス式海岸で、奇岩・怪石の雄大な自然美に恵まれ、吉野熊野国立公園及び枯木灘県立自然公園の指定を受ける南紀に和歌山東漁業協同組合はあります。
古くから、リアス式海岸に生息するプランクトン、小魚を求め、大型魚類や地球最大の哺乳類、鯨が回遊し、漁業の町として繁栄した浦々がありました。
平成となった現在も漁業の盛んな地域として、広く知られるところです。 |
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▲クリックで詳細図 |
JF和歌山東漁業協同組合 本 所 JF和歌山東漁協串本本所(串本町)
〒649-3503 和歌山県東牟婁郡串本町串本1884番地
電話:0735−62−0080 FAX:0735−62−5664
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南紀熊野の歴史は、海と漁業の歴史でとも言えます。 |
樫野埼網代の古式捕鯨図

大島の近代捕鯨基地
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古式捕鯨と近代捕鯨
古座川河口の町、古座は、沿岸漁業、特に古式捕鯨の基地として栄え、江戸時代には紀州藩直轄の鯨方および周参見代官所配下の目附役所が古座に置かれ、大島や現在の古座川町下流域も含む広大な地方行政区、古座組の中心地でもあった。
晩秋から冬期にかけて東の海域からやってくる「上り鯨」を樫野崎で待ち受け、発見すると網船から網(深さ約50b・横幅15b)がおろされ、網代をつくる。極彩色に彩られた八丁櫓の勢子船が鯨を脅しつつ網代に追い込み、舳先の「羽差し」(銛手)が銛を投げて鯨を仕留める。
古座鯨方は、いわゆる紀州藩営で、地元の古座組(旧古座町・古座川町・大島)や江田組(旧串本町)の人々にとって、なくてなならない公営事業だった。
古式捕鯨は明治の中頃姿を消し、明治末頃からノルウェー式の近代捕鯨が始まり、紀伊大島にも水産会社ができ、昭和初期まで鯨の水揚げされる様子が見られました。 |
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鰹のケンケン漁
江戸時代には、下田原から周参見までの十八ヶ浦で成る潮岬会合(しおのみさきえごう)と呼ばれるカツオ漁を中心とした、今で言う広域漁業組織が活躍しました。
明治になりカツオ漁の主な漁場は遠洋へと変わり、潮岬会合も姿を消しましたが、田並からの移住した人がハワイに伝え、後に改良を重ね田並に持ち帰った、カツオのケンケン漁が串本を中心に普及し、広く全国に広められ、現在も近海カツオ漁の主な漁法として行われています。
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