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ケンケン漁について
@「明治の初め頃」…
明治28年農業移民として、ハワイに渡った田並の8人の内の1人、矢部五郎吉は、1年で農園を脱走して、ホノルルから遠いハワイ島ヒロ市で日本式鰹漁を始め、将来有望と中筋五郎吉に連絡してきます。
 
A「大勢の人」…
矢部から連絡を受けた中筋は熟練漁師としてハワイに渡った最初の日本人で、明治32年家族3人で田並で造った漁船、漁具を汽船に積んでハワイへ移民します。そこで日本式鰹漁を実践して数々考案し、活躍することになります。
 
B「ケンケン漁という漁法をハワイに伝えました」…
伝えたのは日本式鰹漁で、大きな活け簀(鰯)を持って撒き餌をし、散水して大量に釣る方法で効果を上げます。現地人の7〜8倍の漁獲量のため値段が暴落し、現地人の反感を買い沖で操業中、暗殺されそうになったこともあるそうです。しかし中筋は日本式漁法や投網の技術を教え共栄共存を図っていたため、暗殺を阻止してくれたのも現地の人だったそうです。又現地の人々も、鳥の羽根を使ったルアー(ケンケン)を教えてくれたそうです。(立命館大学 小川真知子氏)
 
C「田並でのケンケン漁 上手く行かず改良」…
「ケンケン」という言葉はカナカ語で、説によりますと仕掛け(道具一式)をケンケンと呼んでいたとあります。ハワイの現地の人々は「背の青い魚はイカを好む」という習性を知り、木片に白布を3枚程くくり釣針を仕掛け、イカによく似た擬餌「ケンケン」をカヌーで引いていたのが始まりのようです。又中筋は餌でも釣っていたとも言っています。その後、中筋を始め田並出身の浅利兄弟が鳥の羽根(名古屋コーチン等)を使用し画期的な効果を上げたとあります。(県移民史他)
 
D「大勢の人」
中筋が明治32年に渡航後、田並の移民者は少なく明治36年から田並出身者が多くなり、少数ではありますが、和深、大島、潮岬、有田の人々も加入してきます。
昭和初期には田並出身者は250名にもなります。又ハワイ鰹船の3/5は田並出身者で占められていたということです。
(移民者の中には密行者もりますのでそれ以上の数となります。)
明治37年頃中筋に呼び寄せられていた小野七之助は、明治41年中筋考案(ヨットにヒント)のハワイ型ケンケン船の図面とケンケン道具を持ち帰り、ケンケン漁は近隣の村々から田並漁師により全国に伝播していくことになります。

※記述資料について
ケンケン漁の発祥地が田並とは言え、100年以上前の故事で、年代、発言等、資料不足で推察の域を出ないところがいくつもあります。
新しい資料・情報が入りましたら、逐次、更新いたします。
資料提供 串本町田並 雑賀徹也氏
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