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  本州最南端、黒潮の恵みを受ける…
 さっと通り過ぎるだけでなく、時間を掛けてのんびりと観ていって欲しい! 観るだけでなく一緒に参加して楽しんで頂きたい。
 歴史のある祭り、新しいイベントなど、日本の良さを楽しんで体感して頂けるイベントやお祭りがたくさんあります。

夏の風物詩
 串本祭りと花火大会
毎年8月の第1土曜 場所:串本桟橋広場
町民、隣接町からのゲストを迎え串本節総踊り、花火大会が開催されます。

 詳しくは、串本町観光協会HPでお確かめ下さい。

 

花火大会

風・音・炎の祭典
 本州最南端の火祭り
 本州最南端、望楼の芝焼きとして行われてきたものを、2001年より「本州最南端の火祭り」 風・音・炎の祭典と題して、名物「しょらさん鍋」「串本節保存会・岬節保存会・トルコ民俗舞踊団の表演」「餅つき・芋餅プレゼント」「芝焼き」と、一日楽しいイベントが組まれています。

 当日の天候により変更もあります。毎年1月最後の土曜日に行われます。

 

勇壮な櫂伝馬競争
 大島水門祭り
和歌山県東牟婁郡串本町大島水門神社
毎年2月第2土曜日に本祭が行われ、2000人前後の見物客で賑わいます。
前日の宵宮から始まり当日は、早朝からいろんな神事が続く。昼過ぎ神社から屋台(御輿)が港に降りてくると勇壮な「櫂伝馬競争」の始まりで、20代の若者が「鳳」「隼」の2隻の船に分かれ、湾内を廻りながら岸壁に向かって餅をまきます。通夜島への迎えの船が出た後、競争はスタートします。それぞれ12名のこぎ手が乗った船は大島から串本までを往復し、その勇壮な姿は年毎に見物客を増やしています。

 
 

絵巻物のような祭り
 河内祭り(御船祭り)
 古座川町流域の5地区(古座、古田、高池、宇津木、月の瀬)が担い手となって行われてきた伝統祭礼で、源平の戦いに勝利を収めた熊野水軍の凱旋の姿を伝えるものだと言われ、まるで絵巻物を見るようなあでやかなお祭りです。
 紀州藩が編纂した「紀伊続風土記」に「日置浦より新宮迄の間に此祭に次ぐ祭なし」と書かれるほど古くから有名な祭りであった。
 河口に位置する古座の中心産業は漁業、その他の地区は主に山林業を基軸に長年コミュニティーを形成してきた。
 このように性格を異にする地域が年に一度、共に河内神社(河内様)に集い、それぞれ独自のやり方で祭礼を行うという、他にあまり例をみない形式の祭りである。

 また、河内祭りでは、河内祭を構成する5地区のうち、古座の古座青年会、高池下部の互盟社、古田の古田獅子保存会の3地区の組織が、祭りのあいだ、それぞれの流儀の獅子舞を演じてまわります。
 これらの獅子舞は古座流の獅子舞として知られ、南紀熊野地方には、古座流を任じる獅子舞がひろく分布しています。
 
 



 那智勝浦町、那智大社、那智の火祭り
 この那智山には、大国主命並びに、いざなみの命をお祀していたのですが仁徳天皇の御代(5年)に社殿を新築した際熊野の神々、即ち十二所を合祀しました。この熊野大神十二所を遷した時の行事が「扇祭」または「火まつり」として伝えられています。
 「扇祭」は熊野権現十二所の神輿で、那智大滝に鎮まられている神霊をのせて、本社即ち那智大社に遷す行事であります「火まつり」は十二体の扇神輿を十二本の燃え盛る大松明で清める豪壮な行事で、若者の「ハレヤ ハレヤ」の特異な掛け声も勇ましく昼ではあるが、杉木立の暗闇の中で炎が乱舞し大滝の前できらびやかな扇神輿を清める儀式は極めて神秘的であり、まさに火と水の祭典であります。


 

 串本町田原、木の葉神社「ねんねこ祭り」
古座町田原地区の木葉神社祭礼行事として、現在は12月第一日曜日の例大祭「ねんねこ祭」、1月14日弁天祭、1月20日戎祭、9月15日八幡祭 があり、祭礼当日は神事を行うとともに、お神楽として「獅子舞」を奉納しています。
 この例大祭「ねんねこ祭」は、和歌山県から「無形民俗文化財」に指定されています。
 残る3つの祭礼は、現在では神事とお神楽奉納だけを行い、「街回り」や「家固め」は行われていません。また、弁天祭と戎祭は、直近の日曜日に両方の祭礼を兼ねて「天狗舞」を奉納するようになりました。

神功皇后の皇子愛育の故事に由来すると伝えられる「ねんねこ神事」は、日の出より拝礼所までお櫃を頭に載せた童女が、鈴の音に合わせ一歩一歩1時間近くを掛け、ゆるりゆるりと歩く事から始まる。

近隣の人々からも五穀豊饒を感謝し、併せて子安信仰,子孫繁栄を願ってのお祭りとして、崇拝され、数百年続いている。
例年12月第1日曜日にねんねこ神事が行われます。
東牟婁郡古座町田原地区「木の葉神社」
JRきのくに線紀伊田原駅下車1分

 



 串本町和深、八幡神社の例祭
●八幡神社
東牟婁郡串本町和深1123
主祭神「品陀和気尊(ほんだわけのみこと)」
八幡神社は、慶長9年(1604年)以前から存在し、江戸時代は社名を「八幡宮」と呼ばれていました。
10月14日宵宮、獅子舞奉納(14年から正午に奉納する)
10月15日本宮、地下舞わし
■串本町和深地区の獅子舞
 和深の獅子舞は、昔は、和深7地区からそれぞれ屋台が集まったそうですが、現在は上地と下地の2地区だけの屋台で、獅子舞奉納は和深全体の合同で奉納されています。
 舞は、「弊の舞」「神供舞(しんぐるまい)」「神明讃」「剣の舞」「乱獅子」「花掛かり」「寝獅子」「天狗」と」なっています。
 

 串本町田並、天満宮の例祭
※資料準備中

 串本町有田八幡神社の秋祭り
全国の八幡神社がそうであるように、「幟」と「御輿」の「渡御」が町の中心部を有田港の「御旅所」まで練り歩きます。
 祭当日、有田神社で祭の安全と五穀豊穣の神事が行われ、獅子舞が神前で奉納された後に御輿の渡御が始まります。
 昔は唄に「熊野の有田に過ぎたるものは、お寺三つに秋祭り」と謡われたそうで、御輿渡御と御船詩と獅子舞が織りなす古い伝統を持つ祭典です。
■ 串本町有田地区の獅子舞
 獅子舞は「古座流」で、メン獅子と言われています。
 締太鼓は右側に付き、屋台は「しし」の左に置きます。「お社は流れ造」
 演目は「幣之舞い」「神宮之舞い」「扇之舞い」「剣之舞い」「天狗」「乱獅子」など、近郷の獅子舞と同じです。

 

 串本町潮岬、潮御崎神社の例祭
※資料準備中

 串本町出雲、朝貴神社の例祭
 朝貴神社は東牟婁郡串本町出雲にあり、祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」、長禄二年(1458年)出雲の国より勧請し創建とされています。
 例祭は、1月の「お弓」、11月の「新嘗祭」、10月の「秋祭り」があったようですが、現在祭と言えば、10月の秋祭りで、平成13年までは10月9日から10月11日まで行われていましたが、平成14年からは10月の第二土曜日を挟んで行われています。
※14年の場合は、10月11日(金)宵宮、12日(土)本祭、13日(日)残り祭となっています。

獅子舞は「弊の舞」「剣の舞」「神明讃」「神宮の舞(しんぐるまい)」「乱獅子」「寝獅子」「天狗」「花掛かり」が奉納される。

 

 串本町串本地区、潮崎本之宮神社の例祭
 本社は、延嘉式に記される牟婁郡内の「海神三神」を祀る古社で、古代より海上交通の守護神として崇敬されていました。
 東、西、南、北、の四支部から奉納される獅子舞が、中心的役割をつとめる祭りです。
 14日(宵宮)は、午後6時、各支部の屋台集合のサイレンを合図に宵宮が始まる。威勢の良い笛太鼓にあわせ、町内銀座通りに四支部の「屋台」と各支部の「高張り提灯」、総代達、獅子舞会の若衆達が集合すると、7時半頃、祭り一番の見物である、神社までの「宮登り道中」が始まります。
 列の順番は、「当番組」先頭に、各支部が高張り提灯に先導され、道中囃子にあわせ「屋台」が練り歩きます。沿道の観衆からも歓声と合いの手が入り、祭り気分も盛り上がると「屋台」同士がぶつかり合い、つぶし合いとなります。

 ここの獅子舞も古座獅子であることは明白で、串本町の獅子舞の記録によると「安永八年(西暦1779年)串本の若い衆、升屋宇兵衛宅を宿に、古座から獅子舞の師匠を雇い稽古始める。」と言う書簡があり、200年以上も前から伝承されてきた獅子舞です。
 宵宮の晩に本之宮での獅子舞奉納は、東西南北各地区が毎年持ち回りで勤め、境内で舞のすべてを奉納します。

 舞は、現在「弊の舞」「神宮の舞」「神明賛」「花掛かり」「乱獅子」「寝獅子(天狗)」「剣の舞」「扇の手」があり、「玉獅子」が現在残されていません。

 



 串本町橋杭地区、富士橋神社の例祭
「富士橋神社」
祭神は「誉田別命」で、地元では八幡さんの名で親しまれています。明治に「1村1社令」により、大日神社、稲荷神社、弁天神社、蛭子神社を合祀し現在に至っています。
 例祭は、10月14日宵宮、15日本祭
■串本町橋杭、くじの川地区の獅子舞
 古座の古田より伝わる獅子舞と言われており、獅子は雌獅子、たてがみは「和紙」を細かく短冊状にしたもの。
 舞は、弊の舞、神宮の舞、剣の舞、神明賛、花掛かり、乱獅子、寝獅子、天狗となっており、玉獅子は残っていないそうです。
天狗は一人で舞わすが以前大人の天狗も存在したようです。(玉獅子)
 

 串本町須江・樫野の秋祭り
 紀伊続風土記では「鳴神明神」とあります。祭神は本殿に「五十猛命(いそたけるのみこと)」を、合祀されている八幡神社には「誉田別命(ほんだわけのみこと)」を、蛭子神社には「事代主命(ことしろぬしのみこと)」を祀り、「大島村史」には、「当社は古くより須江、樫野両浦の産土神(うぶすながみ)であり、明治三十年頃までは大島より毎年9月9日の例祭に、酒と魚を献納する習慣があったと書かれています。
古くから須江、樫野両地区には「昔は、雷公神社は須江にあり嵐で流失したが、翌日に樫野に漂着し、寺の住職が浜で拾いお寺に安置した。」という言い伝えがあり、確認はできませんが須江の東の山には、神社の跡があると言われています。

 


 串本町西向、稲成神社の例祭
 祭神は「稲成大明神」と「宇迦御魂神」
■7月21日(宵宮)は、獅子舞の屋台が正午に青年会館から「打ち出し」をする。最初に「稲成神社」の境内で獅子舞を奉納し、その後境内から「日吉神社」の方角に向かって獅子舞を奉納します。
 その後、当屋、各区長宅などを回り獅子舞を奉納します。本来の神事はここまでで、その後から「花」をいただいた各家を回り獅子舞の奉納を行います。(他の地区で言う地下舞わし)
■7月22日(本宮)も、最初に「稲成神社」の境内で獅子舞を奉納し、その後境内から「日吉神社」の方角に向かって獅子舞を奉納します。その後から「花」をいただいた各家を回り獅子舞の奉納を行います。
 夜に入り、「総神楽」と呼ばれるものが始まります。これは「獅子舞」を全て舞わして氏子衆に見てもらうもので、「三叉路」と呼ばれる、古座駅へ向かう交差点で行われます。 
 西向の獅子舞も、紀伊半島南部に今も継承され続けている沢山の獅子舞のルーツと言われている「古座獅子」の一つで、最初に古座のどの地区に伝わったのかは諸説あり、古座自体が当時今のようなの古座町、古座川町と言った分け方でなかった事から、この古座と言う地域全体に「獅子舞」というものが伝わり、古座の交流圏や関わりの深い地域に伝えられたのではないでしょうか。
 

 

  浦神地区、「塩竃六社大明神」の例祭
「塩竃六社大明神」(しおがまろくしゃだいみょうじん)
祭神:天宇受売神(あまのうずめのかみ)
例祭:10月18日宵宮、19日地下舞わし、20日座払い
宵宮の夕刻、6時30分ころ、対岸を船で出発した屋台と社中は、途中、海上で「渡り笛」と呼ばれる笛を吹きながら船で神社のある浜まで渡ってきます。
「何時の頃か、古座の古田か高池より習う」と言われてきた獅子舞は「雌獅子」で屋台は「流れ造り」締太鼓は左付けで、笹を取り付け現在は2台保有している。
舞の種類は、弊の舞、剣の舞、乱獅子、花掛かり、神明讃、玉獅子、神宮の舞、うかり(寝獅子からささらの天狗、跳び天狗)、ほかに扇喰い、極剣(きょくつるぎ)と呼ばれる舞もある。
 



 川関地区「飛烏神社」の例祭
「飛烏神社」(あすかじんじゃ)
東牟婁郡那智勝浦町川関
飛烏神社の鳥という時は「烏」を使います。
祭神は「事解男命」(ことさかおのみこと)
棟札に天正十七年本殿造営と記録されており、豊臣時代に造営されたものと思われます。
2月14日15日であったが、近年、2月10日宵宮、11日本宮とした。獅子舞は、宵宮に地下回しを、新築屋固めと役の方の家で舞わし、本宮の午後1時から神社で総舞しが行われます。
獅子舞は、伊勢より社中を招き習ったと言われており、舞や舞の呼び方から、明らかに伊勢大神楽に極めて近いものです。
近在の市野々やすぐ隣の井関の獅子舞は、古座獅子であることは確かで、下って那智勝浦浜の宮の獅子舞は古座から習ったとされており、いつ頃なぜ伊勢大神楽がこの地に伝わったのかは解りませんが、昔の話から「明治時代に伊勢太神楽を招いて習った。」とも言われており、それ以前は他の地区同様「古座流獅子舞」を舞わしていたとのお話もあり、紀伊半島南部の獅子舞にとって特異な存在です。
獅子頭は、伊勢太神楽と同様の小型のもので、特に「魁曲」に使われるものは小さく出来ています。
獅子の雌雄は特にオス、メスと区別しないようですが、一説では「宇久井がメンで、川関がオン」とも言われています。
屋台は春日造の屋根に鯱が付いており、屋台自体かなりの年代物のようです。締太鼓は左付け、笛は七穴の篠笛を使って、獅子舞は現在も「共心会」が継承しています。

 

 市野々地区、「王子神社」の例祭
「王子神社」(おうじじんじゃ)
東牟婁郡那智勝浦町市野々
祭神は天照大神 忍穂耳尊(おしほにのみこと)
古くから熊野那智大社の末社として造営されていましたが、明治に村社として独立し、那智山の支配から離れました。
本殿、「流れ造」、拝殿「入母屋造」、鈴門があります。
例祭は1月15日に行われていましたが、近年、祝祭日の変更により、1月の成人の日に「弓神事」と「獅子舞奉納」が行われています。
また、昔は秋、豊年祭にあたる大祭も存在し、屋形(御輿)が出て、神楽の奉納もあったようです。
獅子舞は古座系の獅子舞で由来についての詳細は不明です。
獅子はオン獅子で、現在は子供獅子舞の奉納のため小型の獅子頭も使われている。 舞は、現在「弊の舞」「乱獅子」「剣の舞」が伝承されている。
 
南紀は魚が新鮮で旨い! 海と山に囲まれた観光と漁業の街には、新鮮で美味しい魚料理などが食べられるお宿がいっぱいあります。

駆け足で通り過ぎる観光はもう古い! ゆっくりと歩いてまわると街が見えてきます! 人が見えてきます! 歴史や文化が聞こえてきます。

※ご宿泊の参考にしてみて下さい。
 
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