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樫野地区の観光・イベント情報
 黒潮の副流が寄せる四方を海に囲まれた紀伊大島の東側に位置する樫野地区は、漁業の盛んな浦として栄えたほか、近年、入り組んだリアス式海岸と黒潮の恵みを受け、磯釣りのメッカとして潮岬とならび、京阪神方面からたくさんの釣り客が訪れるようになりました。
 また、海上交通の要所として知られる樫野埼には、日本最古の石造り灯台や、日米修好記念館、トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難碑などの観光スポットもたくさんあります。
 支所独自で企画・運営する定置網で獲れた魚を放流し家族連れで楽しんで頂ける「釣公園センター」や直営レストランでの「伊勢海老丼」や「アワビステーキ」販売など、観光と漁業の調和のとれた共存スタイルなど、新たな試みも始まっています。
 太平洋を一望出来、大自然を目の当たりにし、自然の大切さや自然の雄大さ、人間と生き物の共存を体感して頂けると思います。

釣りを楽しむ
 樫野釣公園センター
黒潮で育った魚や定置網で獲れた魚を放流し、ファミリーでも一日釣りが楽しめ、釣った魚はお持ち帰り出来ます。

釣り場は家族連れでも安心してご利用出来るコンクリートの堤防で、隣接してトイレなども完備しています。

エサ付き貸し竿も用意され、ご自分愛用の釣り竿の持ち込みも可能です。
 

伊勢海老まるごと
 樫野支所直営レストラン 伊勢海老まるごと!「イセエビ丼」
黒潮の押し寄せる紀伊大島樫野の磯際で育ったイセエビは、適度な締まりと黄金色の透き通った身で、お刺身、炭焼きなど、いろんな料理の素材として大人気です。
その伊勢海老をまるごと使った『いせえび丼』 『イセエビちらし丼』 イセエビあんかけ丼』を、樫野釣り公園センターレストランで期間限定販売中です。
漁港内レストランならではの鮮度とリーズナブルな価格!

 営業時間:午前8時〜午後4時まで
 定休日:毎週木曜日
 電話:0735−65−0015



日本最古の石造り灯台
 樫野埼灯台
■開国と灯台建設(日本最古の石造り灯台)と水仙の花

大島の東端、樫野の断崖に日本最古の石造り灯台が今も活躍しています。
鎖国が解かれた日本に、各国からの要請で建設された日本最古の石造り灯台の内の一つが樫野埼に今も灯をともす「樫野埼灯台」です。英国技師「R.H.ブラント」が手掛け、1869年4月に着工し、翌年6月10日に点灯された。

灯台の付近に自生する水仙は、当時の技術者達が持ち込んだ物とされている。当時の大島は、今とは違い道路もなく、大変な環境での工事だったようで、水仙は彼らの心を癒したようです。
樫野灯台口駐車場から徒歩5分。(高さ10.20m、光度53万カンデラ、光達距離18.5海里)
 

日本初の黒船来航
 日米修好記念館
■日本初の黒船来航は、浦賀ではなく樫野埼であった!

米国のペルリ提督が黒船で浦賀沖に来航した日をさかのぼること60年余り前、寛政3年3月24日(旧暦)夕方、突如現れた2隻の蛮船に、樫野浦の住民は驚き、慌てふためいた。

潮だまりに投錨した船からは、小型の船が降ろされ、磯周りを廻りながら、水を補給したり鉄砲で鳶を撃ち落とした。(日本側資料)

中国にラッコなどの毛皮を交易しようと出かけたが不成立になり、帰還途中に立ち寄った日本であったが、毛皮の使用法を知らなかった住民とは、やはり交易が成立しなかった。
この日、日本は、初めて星条旗を見ることとなり、以来、日本と米国との関係が続くこととなる。

 

友情と友好
 トルコ軍艦「エルトゥールル号」
明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。その日は朝から曇りがちで風が激しく、海もひどく荒れ模様であった。やがて、山のような怒濤に揉まれ揉まれた木造艦エルトゥールル号は、同日午後すでに進退の自由を失い、風濤に翻弄されてぐんぐん樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」へと押されていった。

この船甲羅は数百年来、海の難所として知られ、艦長以下乗組員全員は死力を尽くして荒れ狂う魔人と闘ったが、かかる絶望的な状況下ではなす術もなく、同夜9時頃、船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没してしまった。

地元住民の献身的な救助活動にも、オスマン提督以下540名が遭難、69名が救助された。かくして、トルコと旧大嶋村樫野(串本町)との友情と友好関係が現在まで続くこととなる。

トルコ国との友好の証としてトルコ軍艦遭難慰霊碑の近くに建設された記念館では、館内には遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されており、遭難事故当時の様子を知ることができます。


グレファンで賑う
 磯釣り
 串本町の沖合に浮かぶ大島も、くしもと大橋の開通で離島ではなくなりました。その大島の東側半分が樫野の磯で、磯の数も圧倒的に多く、ゆったりと釣りを楽しめる。

 冬場の北西の季節風に強く、寒グレのシーズンにはグレファンで賑わいます。
 また、地磯にもA級の磯が多くあり、架橋に伴い釣り客で溢れ、地磯は少々荒れ気味!

 夏のイサキ、秋のイガミ、イシダイ、冬のグレ釣りなど、通年にぎわい大きな釣り大会も開催されます。

 

島の祭り
 雷公神社秋季例祭と火祭り
 紀伊続風土記では「鳴神明神」とあります。祭神は本殿に「五十猛命(いそたけるのみこと)」を、合祀されている八幡神社には「誉田別命(ほんだわけのみこと)」を、蛭子神社には「事代主命(ことしろぬしのみこと)」を祀り、「大島村史」には、「当社は古くより須江、樫野両浦の産土神(うぶすながみ)であり、明治三十年頃までは大島より毎年9月9日の例祭に、酒と魚を献納する習慣があったと書かれています。
 祭り前夜8日の夜半、手に手に苦竹で作った松明を手に、雷公神社に二十人ほどの若者が「詣るぞ〜」と叫びながら走ります。雷公神社に詣った若者達は、今度は「詣ったぞ〜」と叫びながら「大竜寺」まで帰ってきます。この時、お寺では故事に習い「磯魚」と「菜」を供え、これを「走り詣り」(地元ではなまって「走りまい」と言います。
南紀は魚が新鮮で旨い! 海と山に囲まれた観光と漁業の街には、新鮮で美味しい魚料理などが食べられるお宿がいっぱいあります。

駆け足で通り過ぎる観光はもう古い! ゆっくりと歩いてまわると街が見えてきます! 人が見えてきます! 歴史や文化が聞こえてきます。

※ご宿泊の参考にしてみて下さい。
南紀串本は魚が新鮮!、魚が旨い!、そんな美味しい魚料理が食べられるお店を紹介します。
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