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那智の観光・イベント情報
紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる霊場、寺院、参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道)などの総称で、2004年7月7日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 
【紀伊山地の文化的景観を形成する記念碑と遺跡は神道と仏教のたぐいまれな融合であり、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を裏付け、 紀伊山地の神社と仏教寺院は、それらに関連する宗教儀式とともに、1000年以上にわたる日本の宗教文化の発展を証明するものです。また、 紀伊山地は神社・寺院建築のたぐいまれな形式の創造の素地となり、それらは日本の紀伊山地以外の寺院・神社建築に重要な影響を与えると同時に、紀伊山地の遺跡と森林景観は、過去1200年以上にわたる聖山の持続的で並外れて記録に残されている伝統を反映している。】と言う様に登録理由が示されています。

 そのような古い歴史に包まれた那智の町は、昔から門前町として繁栄し、熊野の歴史と共に歩んできた町です。昭和30年に那智町、勝浦町、宇久井村、色川村の4か町村が合併し那智勝浦町となっても、熊野三山の一つ熊野那智大社の現代の門前町として、広く知られています。

 熊野那智大社
 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社で、熊野三山の一つです

 熊野夫須美大神を主祭神とし、かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていました。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現とも言います。

2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

 那智の滝
 那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。

 那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝がありますが「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称でした。

 しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指しています。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来ます。

 那智の火祭り
那智の大滝は神代の昔から多くの人々が畏敬し、神格として尊ばれてまいりました。
 この那智山には、大国主命並びに、いざなみの命をお祀していたのですが仁徳天皇の御代(5年)に社殿を新築した際熊野の神々、即ち十二所を合祀しました。この熊野大神十二所を遷した時の行事が「扇祭」または「火まつり」として伝えられています。

 「扇祭」は熊野権現十二所の神輿で、那智大滝に鎮まられている神霊をのせて、本社即ち那智大社に遷す行事であります「火まつり」は十二体の扇神輿を十二本の燃え盛る大松明で清める豪壮な行事で、若者の「ハレヤ ハレヤ」の特異な掛け声も勇ましく昼ではあるが、杉木立の暗闇の中で炎が乱舞し大滝の前できらびやかな扇神輿を清める儀式は極めて神秘的であり、まさに火と水の祭典であります。


 補陀洛山寺
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、天台宗の寺院で、補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳です。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。

仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える古刹で、平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺です。

江戸時代まで那智七本願の一寺として大伽藍を有していましたが、文化5年(1808年)の台風により主要な堂塔は全て滅失し、その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建されました。

隣接する浜の宮王子社跡には熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)が建っています。

大門坂


最大の難所、越前峠


越前峠を越え下りに入る


小和瀬の吊り橋を越えると小雲取越え…

熊野古道、雲取り越え
雲取越え(くもとりごえ)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道・熊野古道のひとつで、熊野川の渡し場であった小和瀬(新宮市熊野川町)を中間点として、大雲取越え(おおくもとりごえ)、小雲取越え(こくもとりごえ)の2つの区間に分けられます。

なお、雲取越えは、今日でも依然として厳しい道で、大雲取越えの最高地点でも1000mに満たないとはいえ、急坂の登り降りを含むために体力の消耗は著しく、長時間にわたり人家と行き会うこともない。訪れるに際しては、充分な計画と準備が必要です。
 
 大雲取越え
雲取越えの前半部である大雲取越えは、那智山(那智勝浦町)から小口(新宮市熊野川町)を結ぶ。

小辺路や大峯奥駈道を除けば、もっとも厳しい道である。

青岸渡寺の裏手から出発すると、那智高原公園内を通り抜けて、登り口に至る。

舟見茶屋跡から熊野灘を眺望し、「亡者の出会い」を下ると、林道との交叉を何度か経て、熊野川町側に入る。

大塔山系の山々を望みつつ石倉峠を越えると、最高地点(870m)である越前峠への登りが待っている。峠を越え、胴切坂を下りきると、小口に至る。

大雲取越えの名は、近傍にある大雲取山(966m)の名、すなわち「雲に手が届きそうなほど高い山」に由来するという。

しかし、実際のルートが最高地点でも1000mに満たないことを考えると、高いというよりも厳しい山道であることを強調した表現と考えるほうが自然である。

幾つもの峠を急坂の登り降りを繰り返しながら越えてゆく、その厳しさは今日でもなお確認できるし、そうした厳しさに由来する地名も多い(「亡者の出会い」「胴切坂」)からである。

また、古人の参詣記にもその厳しさを伝えるものがあり、藤原定家は、後鳥羽上皇参詣の同行記の中で、次のように記している(定家は那智山から本宮までを一日で越えている)。

「終日、険阻を越え、心中夢の如し。未だかくの如きことに遇わず。雲取・紫金峯、手を立つる如し」

冬季は積雪がある年も…

 小雲取越え
小雲取越えは、雲取越えの道の後半部をなし、小和瀬から請川(田辺市、旧本宮町)を結び、熊野本宮大社に至る。

小口を発ち、小和瀬の渡し場跡で赤木川にかかる橋を渡ると、登山口である。

ルート最高地点の桜峠(466m)まで続く急坂を一気に登りきると、あとはしばらく緩やかな尾根道が続く。

林道交叉から如法山の斜面を巻き上げて、最大のビューポイントである百間ぐらである。

ここを過ぎると、残りはほとんどが下り坂である。熊野川が視界に入ってくると間もなく川辺に出て、国道168号線沿いの請川の集落内にたどり着く。

本来はここから熊野本宮大社旧社地に向かうが、この区間は国道になっている。

なお、『紀伊続風土記』の記述によれば、小雲取越えとして今日知られているルートは新道であるという。

すなわち、小雲取越えの途中、如法山(610m)から東に方向を変え、番西峠(ばんぜとうげ、現在は萬才峠と書く)を越える番西道(ばんぜみち)を経て、志古に下り、熊野本宮大社まで熊野川沿いに北上するルートが本道であったという。事実、『山家集』には西行による次のような歌が収録されている。

雲取や志古の山路はさておきて 小口が原のさびしからぬか

小雲取越えの名は、近傍に「小雲取山」という特定の山がないこと(小雲取越えの尾根道周辺の山を指す総称として用いられることはある)、大雲取越えの場合に同じく最高地点でも1000mにはるかに満たないことなどからすると、厳しい山道であることを強調した表現、または、大雲取と対をなすことから付けられた名と考えられる。

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