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伊勢湾台風(台風15号) |
台風銀座と言われる当地方ですが、昭和34年9月26日の台風15号にはかつてない大きな被害を受けました。
南方洋上に発生当初よりA級台風と言われ、西北西に進行していたが9月25日東経240°×130°地点より北北東に進路を変え、速度を早めて、昼頃より風雨激しく浦のうねり波高く、繋留の漁船は早朝より陸揚を始めたが打ち寄せる波高く、夜の9時頃やっと全船の陸上を終わりました。
翌26日より風波激しさを加え、浦口に打ち寄せる高波はカゴメ島をのり越す有様で、家々では終日屋根や壁、瓦など住宅の補強作業や、又、畑の作物のかこいなどで大騒ぎでした。
同日午後6時頃は満潮時だったので、浜に打ち寄せる波は、歩道を越して流れこむ有様で、漁協への道は一面の波で歩行不能となり、夕暗と共に風雨と波しぶきで湾内が見えない有様で、ただ激しい波の音と風雨の叫びばかりでした。
午後7時頃だったと思います。吹き荒んでいた風がバッタリとなぎました。警ら中の消防団の方達はいよいよ台風の目に入った。
これから風向きが変わると話合っていましたが、浜に打ち寄せる波は宛も地面から吹き上げるように高くもり上がり、そのまま歩道を乗り越えて住宅や石垣にぶつかる物凄さでした。
その頃農協の宿直室にいた太田氏は、突然物凄い波の音に、急いで事務所を飛び出し、裏の石垣にとりすがったところ、打ち寄せた大波に農協は大きな音がして押しつぶされた由で、危うく難を逃れたとのことでした。
この大波で浜辺の住宅の殆ど全壊し、道路も石垣も決壊されたことと思います。私達は、波の音と吹き荒う風雨に一夜まんじりともせず夜を明かし、夜半より風は西北に変わり、波の音もやや静かになったようで、まだほの暗き浜に出てみましたところ、歩道や石垣はあとかたむなく、住宅は全部壊され、浦の突堤は半分ももぎとられ漁協前に打ち寄せられたドラム缶やゴミの山、それに倉庫には漁船が突っ込み、事務所の全面はもぎとられ、農協は完全につぶれ、西の川の城谷の加工場は跡形もなく流失、そのあとの川筋には大小の漁船はまるで玩具箱をひっくり返した如く重なり合って船底を上にしている有様で、今更のように被害の大きさに驚きました。
情報によれば、台風は26日午後7時すぎ潮岬の西に上陸して更に名古屋方面へ進行の由でした。
28日は大森駐屯地の自衛隊隊員が多数出動され道路の復旧や漁船等の片付けなどに応援されました。
幸い台風の上陸は夕方だったので住民は早く避難して警戒したので一人のケガ人もなかったですが被害は甚大でした。農作物などは全く全滅の状態でした。
この台風による全国の被害統計によりますと、
行方不明 5,398名
家屋の全壊 35,125戸
家屋の半壊 105,371戸 |
※この記事は、紀伊大島須江地区の記録から一部抜粋し掲載しました。 |
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